金曜日

還暦登山隊、白神を行く、山か温泉か悩んだ末


昨年より台湾の玉山やボルネオ島のキナバル山など、海外の高山を登ってきた早稲田大学探検部OB会の面々が、高いだけが山ではないと、1993年に世界遺産に登録された白神山地を訪れた。

 平均年齢60歳を越す13名の登山隊は、半数が比較的若いベテラン登山家、残りの半数は口だけ達者な要介護的山岳愛好家で構成されている。今回の計画についても早い段階で口だけ愛好家の面々から、内容に無理がありスケジュール等を見直すべしとの強硬なる教育的指導が出されていた。

 それでも登山隊長による、なだめ、すかし、謝り、おだて等々により承諾された計画は晩秋から初冬の気配を感じさせる10月27日から29日まで実行された。

 実は私は出発の数日前に、区が実施している中高年健康診断を受けていた。近所の医者は胸のレントゲン写真を見ながら「右の胸に影があります。思い当たることはありませんか?」といやなことを言った。

 ここのところ風邪気味で咳が止まらない。富士見高原あたりのサナトリウムで澄んだ空気を吸いながら、夕方には軽い咳などをコンコンとして「風立ちぬ……」などと弱々しくつぶやく。そんな生活が頭をよぎった。

 「便に血が混じっています。大腸癌の疑いもありますので検査を受けますか?」ショックから立ち直れないうちに、たて続けに非情なお言葉である。思わず「お願いします!」と答えてから、検査されている自分の惨めな姿を思い浮かべて取り消そうとした。しかし、尻の穴に異物を通す時の感覚にも興味があって受けることにした。

 すっかり体調に自信を無くした私は、今回の登山計画をキャンセルしようかと思った。しかし既にテント生活に備えて今までより大容量のザックをはじめ、シュラフマットや小物類など相当の出費をしている。そんなこともあって「マーいいか」といつもの調子で出発日になってしまったのだ。

 さて当日の羽田では、目的地大館能代空港が霧のため1時間遅れの出発となった。離陸後約1時間で現地の空港上空に到達した。到達したのだが着陸できない。周辺は穏やかな日差しが降り注ぐ秋の里山といった景色が広がっている。ところが空港の上空だけが、呪われたが如くべったりと雲が張り付いている。

 飛行機は大きく円を描きながら旋回している。時々降下する態度は見せるのだが、明らかに気合がはいっていない。幾度となく、見慣れた景色が眼下に現れてはまた雲間に消えてゆく。早起きをしたからだろうか、気持ちよい眠気にさそわれてウトウトしていると、今度着陸できなければ秋田空港に行先を変更する旨のアナウンスがあった。最初からその気でやって欲しかったぜ操縦士クン。

 意を決したかのように少々機体をガタつかせながら、雲海を突っ切り無事着陸に成功した。勿論機内は拍手喝采だ。まるでサーカスの空中ブランコショーを楽しんでいるかの様子で、緊張感ゼロの状態だった。

 結局大館能代空港着は予定を2時間ほどオーバーした午前10時40分になってしまった。これでは白神岳山頂へは午後5時30分頃になるだろう。暗闇の中でのテント張りと食事の準備が確実になった。

 口だけ愛好家達の不安は的中した。空港から登山口までのタクシーの中で、我々ロートル組は大いに盛り上がり、変更案作りに花が咲いた。そして遂にOB会々長の強大なる権力を後ろ盾にした行程案が作成された。さてその内容とは?

 黒崎登山口を午後1時に出発し、2時30分頃には最後の水場に到着する。このあたりで明るいうちにテントを張って一夜を過ごす。翌日は、空身で頂上までピストン。そして前日登った道を引き返すという誠に天晴れな安全策である。

 この案ならば荷物を背負って歩く時間は1日あたり1時間30分。2日で3時間程度である。重い荷物をしょった12時間もの計画に比べると、登山の基本的な性格から違ってしまうのだが、下山後は旅館の車で紅葉の美しい山のいで湯の露天風呂に行き、疲れきった身体を浸すという何とも魅力的なプランである。

 昼食購入のため立ち寄ったコンビニで、OB会々長は別の車にいる登山隊長に対して代替案を呑むよう迫るべくタクシーを離れた。30秒もしないうちに戻ってきた会長は、実にあっさりと言った??「ダメだって」

 結局本来の予定通り、しっとりとしたブナ林での騒々しい登山は決行されたのであった。

(佐藤政信)

JanJan - 2006/11/9

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